不眠症解消に上野公園 [雑感]
不眠症が改善しつつある。
夫に付き合って、上野に「みちのくの仏像展」を見に行った。早い時間に行き過ぎたので
お花見会用に場所取りしている人達を目にしながら歩いた。不思議な場所だ。
それほどの見応えのある木があるようには見えず、なぜかアジア系の外国人も多い。
その中でおやっと思ったのは、寝込みっぷりがいい女の子がいた。
他の多くの(男性)グループ達は、こんなごった返すなかで寝ていられるかという顔。
その日新幹線で帰宅後、実家に車をとばし、母親の紙パンツを取り換え、帰宅後、
夫を飲み会の会場に送り帰宅後、ひどい目まいになり、嘔吐を繰り返し。
寝不足が続いているのにこれじゃあ一晩中眠れないと思った。
でもなぜか、午前二時頃かな、上野公園の彼女が思い浮かんだ。眠れるんだよきっと。寝たぞ。
朝、気持ち悪い感はあったし、1日何も食べられなかったけど、だいぶ楽になった。
その晩も、私だって寝られるぞと思いながら床についた。寝られた。
トイレが近いわけではないのに目が何度か覚めてしまったりするけど、寝られる。
不思議だ。東北の仏像群も素朴でよかったけど。
高尾山の蛸杉 [雑感]
介護生活その後 [介護生活]
義母が逝って1年以上経つ。今、まだ10年の介護生活の色々を感じる。
やっとここ幾日か夜中にちゃんと布団で寝る生活が出来てきた。何年か朝早く(平均3時頃)
起きてきた旦那と交代して3時間位寝ていた生活が抜けなかった。
まともな時間にまともに布団に入ると眠れないのだ。何年も旦那と一緒に部屋で睡眠を
取っていなかったので「俺と一緒だと眠れないのか」と勘違いして別室生活になった。
まるで知り合いの24時間営業のコンビニを経営している夫婦みたいだ。
自分こそ、早く寝て、朝2~4時に起きる癖が抜けないくせに。まあ今は定年で家に
いるから昼間に特技のうたた寝をよくしているのをよくみるが。
食生活も変化した。義母と私の食べ物の好みが割と似ていた。医者にもう状態が、
余りよくないと言われてからは、ガクンと落ちたけど、それまではちゃんと食欲はあった。
なじみのお寿司屋でお母さん用と言えば用意してくれる寿司ダネはそのまま私の好きな物だった。
状態が悪く苦して食べられなければ私が食べた。旦那は好き嫌いが激しく、私と義母が好きな
たとえば、赤貝、ウニ、しゃこ、イクラ等みんな嫌いだ。義母が元気な頃、一緒に行って食べてた
夏牡蠣とか(義母は升酒を飲みながら)も。昨年の冬、一度もカキフライを揚げなかった。
旦那が食べないものを作ってもしょうがないし。肉も食べないし。今、12月。今年一番の後悔。
夏にまともな鰻を食べなかったナ。一度、うな丼セットというランチ1600円のを食べた。
後になって食べた!という満足感なし。義母と良く食べたうな重.....。亡くなるひと月前
あんなに好きだったうな重のお弁当、ふた口しか口にしなっかったな。
鰻も大嫌いな旦那と2人だと食べる機会が無かった。このまま年を越すなんて。
チクショウ人間ドックが来週終わったら
その足でうな重4000円を食べに行くかな。あ~鰻、うなぎ、ウナギ。
読売新聞の広告 [雑感]
悩んでいる。
新聞紙の両面が広告になっているページがある。それを毎朝確認してその一枚を破く。
流しの生ごみを包んで捨てたり、油切りに使ったり。便利に使ってきた。
だから、片面ばかりの広告ばかりの構成に紙面がなっていると困った。切れない。
だから広告は両面になるようにして欲しいなとブツブツ言った事があるような。
あ~取り消そう。最近、広告面切りが増えて広告紙の在庫が増えてしまった!
今朝は三枚、昨日はなんと四枚もあった。新記録かも。こんなにはいらないんだな。
破るのを控えればいいんだけど、長く続いた習慣で、取っておかないともったいないなと。
広告ページは一ページおきにしてほしいな。両面は一日一枚か二枚でいいんだな~。
新聞紙の両面が広告になっているページがある。それを毎朝確認してその一枚を破く。
流しの生ごみを包んで捨てたり、油切りに使ったり。便利に使ってきた。
だから、片面ばかりの広告ばかりの構成に紙面がなっていると困った。切れない。
だから広告は両面になるようにして欲しいなとブツブツ言った事があるような。
あ~取り消そう。最近、広告面切りが増えて広告紙の在庫が増えてしまった!
今朝は三枚、昨日はなんと四枚もあった。新記録かも。こんなにはいらないんだな。
破るのを控えればいいんだけど、長く続いた習慣で、取っておかないともったいないなと。
広告ページは一ページおきにしてほしいな。両面は一日一枚か二枚でいいんだな~。
富岡製糸の町 [雑感]
今、富岡製糸がとても話題になっている。なんだかな~ちょと複雑だ。
週に一回は実家の老母の顔を見に行く。同じ県内とはいえ多少距離があるので、
一日がかりだ。お昼はだいたいどこかの店で食事をし、母の好物の買い物をし、
先週は母の夏用に薄物のズボン下を二枚、紙パンツ用パット等を買い届けた。
必ず、富岡で買う。ず~と以前は一度愛想をつかした事があるこの町の商店に。
たとえばパン屋さん、買いに入っても、いらっしゃいませがない。町なかに一軒あった。
学校給食に市内の学校に出しているのかな?たまに来るコマっちぃ客なんか目に入んないか?
靴屋に入った。学校に納める上履きの荷受けに忙しく、あの~と声を掛けても無視された。
和食屋さんは法事の客だけ大事にしていればやっていけるから.......。
おいしい蕎麦を出す店があった。地元で余り流行らず他の大きな町に引っ越して繁盛している。
おいしい三色団子とかの和菓子屋さんももっと大きな町にいってしまったと聞いた。
なんだこの町は!そしてシャッターが降りた店はまた増えた。がっかりだ。
でも愛する故郷。頑張って残ってやっている店には足が向くようになった。
義母の症状に、脚がだいぶむくんできた。ズボン下の裾がすぼまっているのばかり。
ある洋品店にはそうした人に対応した締め付けない下着まで用意している。
お茶屋さん、魚屋さん、良く寄る店がある。思えば町の規模が、
どんな種類でも一軒は成立するのかも。七味唐辛子屋さん、団子屋さん、
あんこ屋さん、餅屋さん、玉子焼き屋さん、そればかりの専門屋さんだ。
二軒は無理だけど、そうゆう専門店が成立するのは嬉しい。
カタクラが富岡製糸と呼ばれるようになって、特にこの処、ちょっとアレレだ。
この1,2カ月感じることがある。焼き物がおいしい店で、ちょと焼き加減がおかしい、
あとで蕎麦湯が出る店で出すのを忘れられて。サラダの野菜を早すぎる時間に、
下ごしらえしているような。たまたま私だけが遭遇している事かな。客として我がままかな。
ある店に早めの食事に入った。この店は以前富岡にしては遅い時間まで営業していた。
実家の父が入院先の病院で末期症状になった頃交代で付き添っていた時、
夕方から、妹が泊まり番に来るまでいて帰りに寄っていてからの店だ。
入店したらまだ11時半でお昼の客は誰も居なかった。良く実家の母とも来たけど、
昨年暮れから母は外出出来なくなったので、今は1人だ。だから自覚してカウンターに座る。
言われるまでもない。いつもそうしているつもりだ。友達などを案内してきた時以外は。
「カウンターにお願いしますね」お願いしている感じじゃない!この忙しい日曜日に1人客だ。
奥さんの言葉は、私には命令に聞こえた。愛想が苦手なのは承知しているけど。
いつものベテランおばさんは居ない。新人さんが2人いる。食事が運ばれてきた。
コーヒーが来ないうちに新人さんがレシートを置いていった。コーヒーを飲んでレジに立った。
仰天した。2万3千いくらかの金額だった。店員さんにずいぶん高いんですねと聞いた。
はあ~と返事をしたようなしないような。ちょうど財布に札で2万3千円持っていた。
全部叩いて支払った。車に戻って、ビックリしたのでヒリとした喉に麦茶を入れて、
これから、お茶が大好きな母の為に、新茶が入荷しましたと電話があった店に寄る為、
銀行でお金を下ろすカードを持っている事を確認してエンジンを掛けようとしたら、
奥さんが追って来た。えっ!あれ!支払った全額だ。困る、金額分取ってもらわないと。
なら、食べたものを吐いてでも置いて行かないと。もっと拒否された。後で思う、私。
無銭飲食だ。無銭飲食! 製糸の門の近くに、よ~く知っている桐生の和菓子屋さんとか、
地元では無い店がいきよいよく商売しているのもなんなのさと思うけど、
地元のお店も少し落ち着いて欲しい。頑張って落ち着いて欲しい。無理か。無理もないか。
愛読紙は読売新聞? [雑感]
未使用の暑中見舞いハガキ等がだいぶ溜まってしまった。活用しようと思った。
週刊文春の「てこずるパズル」というのに応募した。題名と違ってちっとも「てこずらない」
クロスワードですぐ答えは書けた。だけど答えの他に何点か記入項目があった。
未婚or既婚、PC派orスマホ派,の問いも答えた。愛読誌は文春と書いた。まあナ。
次に愛読紙はと...。愛読?愛?小学高学年位から毎日、ほぼ欠かさず読売新聞を見てきた。
結婚してこの家に来ても同様だ。実家は報知新聞も取っていた。父、兄とも巨人ファンで。
また嫁には新聞を他紙に変える自由が無い。夫婦二人の生活になった今年、一度、
他紙にしてみないと夫に提案。ずっと昔から変えた事がないからダメと言われた。
あ~4月19日に恐ろしい社説が載っていた。原子力発電所の受注輸出を図れと。
政治面にも、経済面にも激しく鼓舞するように....。大丈夫なんだろうか。
読売で働いている人達に聞いてみたいな、大丈夫?って。大丈夫か。
東京には原子力発電所も汚染された土壌も無いしな。大手町や国会議事堂の中に、
小型の発電所を作る計画は無いのだろうか。あ~あ、愛読紙か~。
まあ、慣れ慣れ紙だけど。愛読紙は読売新聞と書いてハガキ在庫を一枚減らすか。
週刊文春の「てこずるパズル」というのに応募した。題名と違ってちっとも「てこずらない」
クロスワードですぐ答えは書けた。だけど答えの他に何点か記入項目があった。
未婚or既婚、PC派orスマホ派,の問いも答えた。愛読誌は文春と書いた。まあナ。
次に愛読紙はと...。愛読?愛?小学高学年位から毎日、ほぼ欠かさず読売新聞を見てきた。
結婚してこの家に来ても同様だ。実家は報知新聞も取っていた。父、兄とも巨人ファンで。
また嫁には新聞を他紙に変える自由が無い。夫婦二人の生活になった今年、一度、
他紙にしてみないと夫に提案。ずっと昔から変えた事がないからダメと言われた。
あ~4月19日に恐ろしい社説が載っていた。原子力発電所の受注輸出を図れと。
政治面にも、経済面にも激しく鼓舞するように....。大丈夫なんだろうか。
読売で働いている人達に聞いてみたいな、大丈夫?って。大丈夫か。
東京には原子力発電所も汚染された土壌も無いしな。大手町や国会議事堂の中に、
小型の発電所を作る計画は無いのだろうか。あ~あ、愛読紙か~。
まあ、慣れ慣れ紙だけど。愛読紙は読売新聞と書いてハガキ在庫を一枚減らすか。
長~持ち菊 [雑感]
花瓶の大きな菊は昨年12月12、3日頃の親戚の葬式後貰って来た菊で、
1月下旬の状態だ。完全に散ったのは3月6日、80日以上もった。菊は長持ちだ。
秋になると庭のあちこちで小菊が咲く。今年は本来の花スペースの所より、
洗濯物を干す傍とか小屋の出入り口の傍とか、日常生活スペース近辺の小菊が、
元気に増えて、且つ冬に入っても咲き続けた。頑張っているサマが嬉しかった、私は。
でも旦那には邪魔にしか思えなかったみないで、根こそぎ片づけられてしまった場所もある。
なんて事だ。今年の秋はちょっとさみしくなるかも。菊は長持ちするからいいのに。
でも、我が家の花瓶の花が長持ちするのは、このボロ家の隙間風&経済的困窮対策の為、
暖房費を極力抑えている為かな~。だがら他所の家とか行くと暑くてイラっとする。
そんなに暖かくしなくても風邪ひかないよ。重ね着すればいいんだよ。湯たんぽ必需品。
花瓶の花が長持ちする。
ウォーキングの障害 [雑感]
メタボ対策の為、8月の下旬からウォーキングを始めた。
市の保健指導も受けた事だし、これからは自分自身の事を大事にね、
と忠告も受けて。3日坊主が常の私にしては続いていると思う。
朝、近くの堤防を歩いている。学生たちが元気に通学や朝連する姿が新鮮だ。
同じ町内に引っ越して来た幼馴染みに途中で会うと、熱血指導を受ける。
「ほら、手を振って、踵から、下ばかり見ないで、お腹を凹ましながら!」
でも最近サボり気味だな....。用事がある日は体力の温存を優先だなんてネ。
それに知らないおじさんに「歩いたってそんなに体重が減るもんじゃないだろ」
リールを長ーくして犬を散歩させながら声を掛けて来た。確かにそうだけど。
毎朝計っていた体重計に続けて3度載ると3度とも体重表示が結構違う。
なんでだ?信用できなくなった。ふうふう歩きながらたまに下を見て、
自分の体つきを見る。少し締まったかも、そんなにデブで無いかもと思う。
だけど現実が目に入る場所がコースにある。堤防のすぐ近くに増築された、
大学の5,6階建ガラス張りのビルだ。バッチリ鮮明に私のデブい状態が...。
凹まないなぁ~減らないな~。気が抜けちゃうな~。
介護生活⑧ひとり [雑感]
義母の葬式を済ませ来月中旬の納骨式を控えた生活の中だ。 20年位は耳鳴りが続いてはいるが、最近やけに大きく感じる。 なぜかな。介護の生活は終わった。長く夜寝ない生活をしてきたせいか、 夜中になると眠気がしなくなる。布団に入ると尚更だ。肺気腫という診断を受けて 18年目、呼吸器を装着して10年目、肺が全く機能しなくなっていた。 苦しい呼吸の中で生きてきたのを見てきた。 もう苦しまなくて楽になって良かったんだ。と思う。思うけども。 後悔も多い。自宅での生活をのぞむ母の気持ちに沿った。 だけど所詮素人介護。たとえば、なるべく横になっていた方が体力的に いいと思ったから横になる事ばかりすすめた。肺が悪い人は上半身、 起こしている方が楽だというのは大分経ってからやっと知った。 喉がおおごとといえば浅田飴を買ってきてベットのテーブルに置いた。 今年になって薬局で買い足す時、薬局の人に声を掛けられた。 病状を聞かれて、肺気腫の事を話すと、痰切り剤や関係した薬は 飲んでいるはずだから、薬の2重摂取状態になると警告された。 なのでちょっとおおごとそうな時だけ一粒渡すようにした。 いくつもの後悔がある。昨日夜10時半ごろまで家で1人だった。 今までは動くのも不自由な病人とはいえ1人になる事は無かった。 いつ以来だろう、夕方玄関のカギを掛けた。
私のママ友 [雑感]
結婚してこの家に来て何年かしてハタと気がついた。
近所に若い夫婦がいないのだ。息子夫婦は別の場所で生活している。
7,8才以上年上グループはいた。子供を通した交流から始まったようだ。
子供が出来なかったので、そういう機会も無かった。
結局私は姑のママ友と交流するようになった。
いろいろ教わることもあったし、声を掛けられる事もあった。
「ファクス用紙が取り替えられない」「力が無くなってペットボトルの栓が開けられない」
とか。手出し、口出し、運転手をしてきた。最近、状況が、う~ん。
*亡くなった人*隣の隣の町の長男の家からディサービスに通う*川口にいる息子夫婦の所へ*
*病気で長期入院*娘夫婦の所へしばらく*認知症で施設へ入ったらしい*
仕方ないか。